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阪神大震災の記憶

みなさんもご存知の通り、先日また大地震が発生しました。
これまでもたびたび大地震は発生していましたが、今回の大地震は阪神大震災以上の被害が出そうな様子です。
テレビで悲惨な状況を見てると、阪神大震災当時の記憶がよみがえってきました。


当時は大阪の豊中市に住んでいました。
実家は空港に近いので、豊中の中でも神戸寄りです。
公表値は震度4だそうですが、実際はたぶんそれ以上の揺れがあったと確信しています。


別に何か教訓めいたことを言うわけでもなく、心温まるいい話を語るわけでもありませんが、自分の頭の中にある当時の記憶をひとつの記録として散文的に書き連ねてみます。



  • 当時は高校2年生だった。
  • いつもと同じように自分の部屋で一人で寝ていた。
  • 別に目覚ましをかけていたわけではないが、なぜか目が覚めた。
  • その直後、ゴゴゴ・・・という不気味な地鳴りが聞こえ、今まで体験したことのない激しい揺れが発生。
  • 地震が起きるちょっと前に「近畿でもこの30年ぐらいの間に大地震が起きるかもしれません」というニュースを見ていた。それがまさか今日だとは思わなかった。
  • 当時の揺れを例えるなら、キングコングが自分の家を両手でつかんで、思いっきり揺さぶってきている感じだった。「そんなに揺さぶられたら、家が壊れる!!」と叫びたいぐらいの揺れだった。
  • すぐに布団を頭までかぶった。
  • しばらくすると頭に何かゴンッと何かがぶつかった。天井が落ちてきたのかと思った。
  • 生まれて初めて「やばい。もしかしたらここで死ぬかも」と思った。
  • かなり長い時間揺れたが、しばらくしてようやく揺れがおさまった。
  • 頭の上に何か乗っているので、布団から出ることができなかった。
  • しばらくして母親と弟がおいらの部屋にやってきた。
  • 頭の上に倒れてきたのは本棚だった。
  • 部屋には散乱した本しか見えず、当時母親と弟はおいらのことを「もうダメだ」と思ったらしい。
  • それほど重い本棚ではなかったので、幸いおいらに怪我はなく、無事に救出(?)された。
  • とりあえず1階のリビングに降りた。
  • 食器棚の茶碗などが落ちて割れていたが、それ以外は特に大きな被害はなかったような気がする(このへんの記憶はあいまい)。
  • 家族は特に怪我もなく、全員無事だった。
  • 地震が発生してから1時間ぐらいは停電していた。真っ暗だったのでろうそくで灯りをともした。しばらくすると外がだんだん明るくなってきた。
  • 停電している間も余震はときどき発生していたような気がする。
  • 電気がついたら少しほっとした。
  • テレビをつけた。やはり大地震だった。震源は大阪ではなく、神戸方面であることを知った。ここよりもさらに強く揺れた地域があるなんて信じられなかった。
  • おいらは誰に確認するまでもなく、学校を休むことに決めた。たぶんこんな状況で学校があるわけないと思ったから。
  • しかし、父親は会社に出かけた。大地震が起きたんだから、会社なんて休めばいいのにとおいらは思った。
  • テレビはだんだんと悲惨な状況を伝え始めた。
  • 大阪はそれほど深刻な被害は受けていないことが分かった。神戸に比べれば。
  • 阪神高速が倒れていたのにはびっくりした。
  • 阪急伊丹駅が崩れかけているのにも驚いた。自宅から数キロしか離れておらず、たまに買い物に行く場所だった。伊丹と豊中は県境であるだけではなく、震災の被害に関しても大きな境目になっていたんじゃないだろうか。運良く自分は被害の少ない方にいた。
  • 昼から夕方にかけて、神戸の悲惨な状況をテレビで見ていた。神戸の街はあちこちから炎や煙が上がっていた。どうして地震で火事が起きるのか、当時のおいらは理由があまり分からなかった。
  • テレビを見ている間も余震はしばらく起きた。少し怖かったが、それほど大きな余震は起きかなったと思う。
  • おいらの家の方はというと、屋根瓦が何枚かずれ落ちていた。基礎の上に乗っていた家の柱も何センチかずれていたらしい。もっとずれていたら、柱が基礎から落ちて家が傾いてたんじゃないかと思う。
  • 自分の部屋では、パソコンのモニタがキーボードの上に落ちてきていた。買って1年ぐらいしか経っていなかったので、壊れていたらどうしようと思ったが、モニタもキーボードも無事だった。
  • 結局、おいらの家や自分の部屋はモノがたくさん散乱したぐらいで、致命的な被害は発生しなかった。ただ、自分の家があと数キロ神戸に近い伊丹にあったとしたら、どうなっていたか分からない。
  • 弟は震災の前日に遊んでいた桃太郎電鉄で大地震カードを引いていたらしい。「もう桃太郎電鉄はやらない」と弟は言っていた。
  • 翌日、学校に行った。雨が降ったわけでもないのに運動場がドロドロになっていた。テレビで液状化現象という言葉だけを聞いていたが、これがそれだということを知ったのは、もうちょっと後のことだった。地学の先生は液状化現象を見て喜んでいた。仕事柄、こういう現象がとても興味深く映るらしい。
  • おいらの知る限り、生徒もみんな無事だった。ただ、神戸に住んでいた生物の先生はお子さんを二人亡くしたという噂を聞いた。普段は陽気な先生だったので、とても痛ましかった。




・・・鮮明に覚えている記憶はこんな感じです。
あとはだんだんと普通の日常生活に戻っていきましたが、こういうふうに大きな地震が起きると、ときどき当時のことを思い出したりします。