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「それなりに勉強、勉強、と言われていたおかげで、いま幸せです」というお話

はじめに

昨夜Facebookを見てたら、こんなブログ記事が目に入りました。


「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。 – Handmade Future!


元記事をざっくり読むと、「子どもに勉強を強いるのではなく、自ら主体的に学んでもらうのが一番」といった趣旨のようです。


「まあ、そりゃそうだろうなあ」と思いつつ、自分がこれまでにやってきた勉強と今の自分について、それから自分の子どもの勉強について、何かもやもやと書き綴ってみたい気持ちがわき上がってきたので、今からとりとめもなく書いてみます。


あ、かなり長いので休憩しながら読んでくださいねw


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Photo: 夏休みの宿題に励む小3の息子


僕の母親は「教育ママ」だった

僕の母親はいわゆる「教育ママ」でした。
「いい大学に入っていい会社に入れば幸せな人生が送れる」と考えていたような人でした。


これだけ書くと「あー、ちょっとイケてないお母さん?」って思う人が出てくるかもしれませんが、僕から見ると母がそう考えるのも仕方ないのかなーと思うところもあります。


「いい大学、いい会社」っていうのは、母のような高度経済成長期を生きてきた人たちの典型的な考え方ですし、母親も鹿児島の田舎でそういった憧れを抱いていたみたいです。
でも実家は農家なのであまり金銭的な余裕もなく、母は大学に進学せずに地元の高校を卒業して大阪で働き始めました。


おそらく、そういうバックグラウンドから「自分の子どもはいい大学、いい会社に入れてあげたい」と考えていたのでしょう。

幼稚園~小学校時代: ドリルは嫌いだったけど、それ以外は普通

それはさておき、今思うと小さい頃からよく勉強させられていました。
幼稚園ぐらいの頃から夏休みとかになると、母の買ってきた「算数ドリル」「国語ドリル」をやらされていました。(こういうやつです↓)

1年生のたしざん (くもんの小学ドリル 算数 計算 1)

1年生のたしざん (くもんの小学ドリル 算数 計算 1)


「ナントカドリル」はどれもやってて楽しくなかったですね~。
今でも「ドリル」という言葉にちょっと嫌悪感を感じます。


勉強に関する母のチェックが厳しかったので、小学校のときから宿題は毎日やっていましたし、テストの点数も基本的に良かったです。
「ナントカドリル」は大嫌いでしたが、学校の勉強はそれほど嫌いではありませんでした。


小学3~4年の頃の担任は「自由勉強」というフリーの宿題を毎日出していました。
これは「何でもいいから、自分の好きなことを勉強する」「宿題をやるのもやらないのも自由」というちょっと変わった宿題でした。


なんかよくわかりませんが、僕はこの「自由勉強」という宿題をほぼ毎日やりました。
理科や社会の参考書の内容をまとめたり、気になった言葉の語源を調べたり、そんなことを毎日やって提出していました。
これはある意味「自主的な勉強」なのかもしれません。
このときに学んだ知識は今でも結構覚えていたりします。(日本各地の特産物とかね)


小学5年生になると塾に通い始めました。
これも無理矢理行かされたという感じではなく、母から「そろそろ塾に行ってみる?」と聞かれて、「うん、行く」みたいに答えたような記憶があります。


小学6年からは塾で一足先に英語の授業が始まりました。
英語はなぜか昔から興味があったので、僕は嬉々として英語の授業に取り組みました。
この頃からずっと英語が好き&得意だったので、今でも自分の「平均的な日本人よりも高い英語力」は自分の強みになっています。

中学時代: 勉強が一番楽しかった時代

中学校に入ると中間テストや期末テストが始まります。
実は僕、この中間テストや期末テストの類いは結構好きでした(苦笑)。
なぜなら、同級生と順位を競えるからです。


中学校の頃は「よく勉強ができる子」だったので、中間テストや期末テストでは学年で常に10位以内にいましたし、学年1位になったこともよくありました。
というわけで、勉強面に関しては中学校の頃が一番楽しかったです。
「学年でトップになる」という快感を味わっていたのでw


この頃はあまり親から勉強を強いられている感じはありませんでした。
学年でトップになりたかったので、どの教科も100点が取れるように自ら勉強していた気がします。
また、それほど難しくなかったので勉強すればするほど点が取れる、という感じでした。


というわけで、僕はめでたく大阪府で一番の公立進学校に入学しました。
ここが僕のピークです。
ここから先はちょっとした暗黒時代が始まります。

高校時代: 突然「落ちこぼれ」になった暗黒時代

中学校までは「勉強なんてかーんたん!」だったのですが、高校に入ると急に勉強が難しくなりました。


中学校の頃と同じように勉強してもテストの点が上がらなくなりました。
授業を聞いても「ん?全然わからんぞ・・・」ということが増えてきました。
周りはみんな「頭のいい子」ばかりなので、自分の学力が相対的に人並みかそれ以下になりました。


中学生までは学年でトップレベルだった僕の成績は、高校に入ると「右肩下がり」で下降し続けました。


面白いように点が取れていた勉強で点が取れなくなったので、急に勉強が面白くなくなり、苦痛になってきました。


一方、高校の同級生たちと組んだバンドが面白くなり、高校時代はギターの練習に熱中していたこともあって、ますます勉強しなくなりました。


高校3年の頃になると学力は明らかに「学年で平均以下」になりました。
高3の夏に受けた校内の実力テストでは数学で0点を取りました。
テストで0点を取ったのは生まれて初めてです。
0点のテストを受け取ったときは「俺はのび太か!」とセルフツッコミを入れるのが精一杯でした。

大学を選ぼうにも将来なりたい職業がないので、ブランドで選ぶしかない

また、「将来なりたい職業が特にない」というのも悩みの種でした。
というのも、進路相談では「将来何になりたいの?」と聞かれ、そこから進学する大学や学部の話につなげていくからです。


当時は「(一番ステータスが高そうだから)医者」とか「(英語が好きだから)通訳」とか、適当に答えていました。


なので、大学選びは「なりたい職業ありき」ではなく、単純にブランドだけで選ぶことになります。


「やっぱり国立の大学がいいよな。授業料だって安いし」
「京大に入れたら文句ないな」
「京大が無理なら阪大(大阪大学)がいいな」
「最低でも神大(神戸大学)には入りたいな」


という、それだけの基準です。


しかし、現役の頃は国立大学には入れるような学力は全然ありませんでした。
センター試験もボロボロでE判定とかもらっていたにもかかわらず、無謀にも前期に阪大、後期に神大を受験しました。
当然、阪大には落ちましたし、神大に関してはセンター試験の点数が低すぎて「足切り」を食らいました(苦笑)。不戦敗ですよ、不戦敗!

浪人する覚悟はできていた

でも、「現役で国立大学に入れなかったら、浪人して死ぬほど勉強する」ということは決めていました。


なぜかというと、「若い頃、もっと勉強しておけば良かった」という大人の姿をたくさん見ていたからです。


自分が大人になったときに「もっと勉強しておけば良かった」という言葉だけは使いたくなかったので、「後悔しないように死ぬほど勉強する」と考えていました。

浪人時代: 死ぬほど勉強した。でも第1志望は落ちた

というわけで、地元の予備校で1年間浪人しました。
このときは本当に毎日勉強していたと思います。
朝から晩まで勉強していたので、過労のためか次から次に口内炎ができていた気がします。


ところで、予備校に通って気付いたことが一つあります。
それは「予備校の先生は教え方がめちゃくちゃうまくてわかりやすい」ということです。


それに比べると、公立高校の先生たちの教え方はとてもヘタでわかりにくかったです。
「ひょっとすると高校時代にこの先生たちに教えてもらっていたら、大学も現役で合格できていたかもしれない」と思いました。


つまり、勉強は本人の努力のみならず、教える側の技術も重要になる、ということがよくわかりました。


さて、死ぬほど勉強した結果、成績はまずまず上がりました。
少なくとも現役時代よりは間違いなく学力は上がりました。


小さい頃から住んでいる大阪から飛びだしてみたかったので、大学は筑波大学を志望しました。
センター試験の点数も結構良かったので、B判定が出ました。
「おお、これは行けるぞ!!」と思い、筑波まで行って試験を受けてきましたが・・・まさかの不合格。


確かに二次試験の手応えは微妙なところで、「センター試験の点が良かったから、まあ何とかなるんじゃない?はははっ」と自分で自分を励ましてたので、「まさか」でもないんですけどね・・・。


結局、後期試験で慣れない小論文を書いて大阪市立大学になんとか合格することができました。

大学時代: バンドに明け暮れた。就職活動はしなかった

大学の勉強はまあまあ楽しかったです。
シラバスを見ながら自分で受けたい授業を選択できるのがいいですね。
自分で好きなように時間割を組めるのも嬉しい。


自分の興味がある分野を自分で選べるというのは、勉強のモチベーションを上げる一つの要素になるんじゃないかと思います。
大学以外でもこういう仕組みになってたら良かったのになーと当時は思っていました。(今も思っています)


しかし、受けたい授業があるといっても単純に興味があるかないかの話だけです。
高校時代から引き続き、「なりたい職業」は特にありませんでした。
学部も「なんとなく楽で自由にやれそう」という印象だけで「文学部社会学科」を選びました。


いや、実はなりたい職業がありました。
それは「プロミュージシャン」です。
高校の頃からやってたバンド活動が楽しくて、「将来は自分の作った曲のCDを売って大ヒットさせたい」って真剣に思っていました。


で、ここから例の「My 教育ママ」との軋轢が始まります。
一浪したものの、公立大学に入学するところまでは、「いい大学に入る」という母のシナリオ通りです。


ところが「いい大学」に入ったはずの息子は「いい会社」に入ろうとせず、あろうことか「ミュージシャンになる」と言い出しました。
大学4年になっても全く就職活動を始めません。
困った息子さんですねー(苦笑)。


なので大学の終わりの頃になると


「淳一、そろそろ就職活動しないの?」
「うっせーな!ほっとけよ!!」


みたいなケンカを頻繁に繰り返していました。


結局僕は「ミュージシャンになりたい」という希望を押し通して、大学卒業後も塾講師のバイトをしながらバンド活動を続けました。
厳密にいうと、イヤイヤやってみた就職活動で小さなソフトウェア開発会社の内定をもらっていたのですが、最終的にお断りしました。


というわけで、大学卒業後はしばらくバンドをやっていたのですが、結局バンドも解散し、「そろそろ普通に働くしかないか」ということになりました。

社会人時代: プログラマとして再スタート。現在に至る

当時は塾講師の延長として「学校の先生」になりたかったのですが、大学では教員免許を取得していませんでした。
免許を取るためには2年ぐらい通信制の学校に通わなければいけないので、ちょっとハードルが高い。


なので、「学校の先生」は諦めて、大阪の中小SIerにプログラマとして中途入社しました。


プログラミングの経験はほとんどなかったのですが、高校時代からパソコンをよく使っていたり、バンドのwebサイトをHTMLで組んだり、「パソコンを使いこなすこと」はまあまあ得意だったので、「パソコン関係の仕事 = プログラマ」みたいな感じでプログラマを選びました。


そして、その頃から10年ほど経ちましたが、僕は今でもプログラマとして仕事をしています。

「で、勉強したから幸せ?」 → たぶんYES!

さーて・・・もともとの何の話をしようとしてたんでしたっけ?
あ、そうそう、「これまでにやってきた勉強と今の自分」について書いてるんでした。


実は学校の勉強をやっていたことは、プログラマになってから巡り巡って自分の役に立ちました。
なぜならプログラマは「論理的な思考力が要求され、なおかつ常に新しい技術を勉強しなければならない職業」だからです。


論理的な思考力という面では、長い文章を読み書きしたり、難しい数学の問題を解いたりしてきたことでそれなりの素養が身に付いていました。
ちなみに僕は文系出身なんですが、業務系のシステムを構築するときには難しい数学や物理の数式が必要になることは滅多にありません。
なので、文系であっても論理的に考えることができれば、プログラマとしてそこそこやっていけます。


また、常に新しい技術を勉強するという面では、「こつこつ勉強する」という修行(?)を学生時代にやってきているので、「勉強に取り組む姿勢」や「効率のいい勉強方法」が身についています。


さらに、昔から英語が一番の得意科目だったので、英語で書かれた技術系のドキュメントも問題なく読み下すことができます。


すごい!学校の勉強が役に立ってる!!


高校生の頃の「暗黒時代」では「なんでこんなことやらせるんだ?絶対将来役に立たねーよ!」と悪態をついていたこともありましたが、今となってはなんだかんだで自分の役に立っています。


役に立っているといっても、直接役に立っているのは英語の読み書きぐらいですが、それでも「論理的な考え方」や「新しい知識の学び方」は昔の勉強が間接的に役に立っていると思います。


というわけで、「いい大学、いい会社」と考えていた母の方針は面倒に感じるときも時々ありましたが、「昔勉強していたからこそ、今の自分がある」というのも間違いないと思います。


ところで、冒頭に挙げたweb記事のタイトルは「『子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです』という人に、会った経験がない。」でした。


僕の場合、「死ぬほど勉強させられた」わけではないですが、「それなりに勉強、勉強、と言われていたおかげで、いま幸せです」というぐらいは言えるのかなーと思っています。

母は「教育ママ」。じゃあ、父は??

ちなみに最後まで父親の話が全く出てきませんでしたが、父は勉強については一切僕に口出ししてきませんでした。


父から「勉強しろ」と言われた記憶は全くありません。
かといって、別に僕が嫌われていたとか、子育てを放棄していたとか、そういうわけでもなく、普通に「いい父親」でした。


あれはいったいどういうポリシーだったのかな・・・謎です。(今聞けばいいんだろうけど)

自分の子どもの勉強に関する自問自答

さて・・・、ここでこのエントリを締めくくっても良いのですが、ついでにもうちょっとだけ書き足しておきます。
それは自分の子どもの教育についてです。


僕には今、小3の息子と幼稚園の娘がいます。


自分が親になってみると、子どもの勉強や教育をどうしたらいいのかなーと、ちょっと悩むところがあります。
今のところまだ答えは見つかってないです。
いろんなことがもやもやしています。

  • 勉強は大事。でも無理強いさせてまでやらせたくない。

  • 主体的に勉強してくれるのが一番。とはいえ、親が思い描く通りに子どもが勉強してくれるわけではない。

  • 主体的に勉強してくれるように、目の前に「ニンジン的なもの」をぶら下げてみるが、必ずしも飛びついてくるわけではない。

  • 夏休みのような長期休暇はyouTubeを見たり、iPadや3DSのゲームをしたりして時間を潰している。もっと有意義に過ごしてほしいと思うが、自分が子どもだった頃もこんなもんだった気もする。

  • 息子の成績はそんなに悪くない。まあまあできる方だと思うが、抜群に賢いわけでもない。自分の子どもの頃の方がもうちょっと賢かった気もするが、比較のしようがない。

  • 「勉強(=学校の成績)だけがすべてじゃないでしょ?」と言われたら「まあそうだよね」と思うので、必死こいて勉強させるのも違う気がする。

  • とはいえ、自分はそれなりに「勉強が役に立った」と思っているので、自分の子どもにも同じようになってもらいたい。

  • 「学校の成績が心配なら毎日子ども勉強を見てやればいい」という気もするが、毎日毎日子どもの宿題やテストの点をチェックできるわけではない。そのへんはむしろ妻にやってもらっている。「自分は忙しいから」というのはただの言い訳で、「怠慢なだけ」というのがきっと本当の理由。

  • そもそも勉強って子どもと親だけの問題じゃないよな。周りの友達とか先生の質によっても大きく変わるよな。しかし、だからといってわざわざどこか別の学校を探して通わせるというのも現実的じゃないから、そこは諦めるしかないかな。。

  • てか、もっと根本的には「将来なりたい職業」が決まっているのが理想的だよな。そういう具体的な目標が定まっていれば、勉強のモチベーションも上がるはず。自分はそういうのがなかったら、ちょっとダラダラと勉強してしまった気がする。

  • その点、息子は「学校の先生になりたい」って言ってるからそれでいいのかな。でも、そんな考えもすぐに変わるかもしれないしな。どうなんだろう?うーむ。


・・・みたいな感じです。自問自答、右往左往してます。

自分の子どもに求めるのは「自分の力で生き抜く力を身につけること」

結局のところ、僕が自分の子どもに求めるのは「自分の力で生き抜く力を身につけること」です。
自分の力でお金を稼いで、貧しい思いをせずに生きていけるなら何でも良いです。


とはいえ、そのためにはそれなりに勉強も必要になってくると思います。
「いい大学」は必須条件ではないと思いますが、入れるなら入っておいた方がいい気がします。
でも「主体的に生き抜く力」を養うのであれば、日本の大学よりも海外の大学の方がいいのかも、と思ったりします。


将来的には「拘束時間と給料を交換するような仕事」ではなく、自分のスキルをお金に換えたり、自分で新しいビジネスを起こしたりして、この先も続くであろう大変な世の中を生き抜いてほしいな~、というのが僕の思いなんですが、いったいどうなることやら。


まあ、僕自身がそういう考えに目覚めたのが30を過ぎてからなので、まだ10歳にもなっていない子どもたちにそんなことを求めても仕方ないよなーと思ったりもします。
でも、今からできるものなら何とかしたい。ああ、自問自答。右往左往。


難しいですよねー、子育て。
たぶん20年後ぐらいに答えが見つかって「理想的な子どもを育てるたった一つの方法」みたいなエントリを書いていると思うので、そのときにまた読みに来てくださいw

まとめ

はい、というわけで今回は自分や子どもの「勉強」について思っていることをつらつらと書き綴ってみました。
最後の方はもやもやっとして、よくわかんない話になっていますが、人生なんてそんなもんですよねー。


とはいえ、子どもの人生は子どものものであって親のものではないから、親の思い通りに子どもを動かそうとするのは良くないと思っています。
ちょいと背中を押すぐらいでちゃんとした方向に育ってくれたら嬉しいな-。


20年後の結果報告を楽しみに待っていてください。


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