勉強は「しなければならない」ものなのか?
ネットを見てると、ときどき「プログラマやITエンジニアは一生勉強し続けなければいけない」「休日も勉強しないと生き残れない」という記事を見かけます。
僕もそのとおりだと思いますし、実際それなりに勉強してる方だとは思います。
一方で、「なぜ休みを使ってまで勉強しなければいけないのか」という否定的な意見が出ることもあります。
そういった意見に対して、よく勉強している人は「自分は勉強だとは思っていない。趣味でコードを書いている」と反論します。
僕も勉強している側に立っている人間なので、「そうだね。好きでやってるから半分趣味だね」と同意します。
しかし、勉強することに疑問を持っている人に向かって「勉強は楽しいよ。趣味だと思えばいいよ」と言ったって、説得力はありません。
運動音痴で体育の時間が苦痛で苦痛で仕方なかった僕に向かって「マラソンは楽しいよ。伊藤さんも走ろうよ」と言っても、効果がないのと同じです。
「勉強は趣味」
そう言っても構わないんですが、「趣味」だと「やりたい人がやればいい」という話になってしまいます。
勉強って「投資」じゃない?
もっといい言葉はないか?そう考えたときに出てきたのが、
「勉強は投資」
です。
しっかり勉強していれば、スキルが上がり、昇進しやすくなります。
転職もしやすくなります。
運悪く会社が傾いたりしたときも、他人に評価されるようなスキルを持っていれば、新しい会社に移りやすくなります。
転職をしなくても「最近こんなことを勉強しているので、チャレンジさせてください!」と頼めば、新しい技術を使った仕事にチャレンジさせてもらえるかもしれません。
また、金銭に直結しなくても、「技術を使いこなせれば使いこなせるほど楽しくラクに仕事ができる」という精神的なメリットも生まれます。
もちろん、つぎ込んだ時間やお金がすべてきれいに回収できる保証はありません。
とはいえ、戦略的に投資していけば成功の確率は上がります。
趣味と投資の違いを端的に表すなら、「単純な趣味とは違って、投資は実益となる見返りが期待できる」ということです。
「僕は勉強してるんじゃありません。自己投資してるんです」
「いつもやる気のない彼は全く自己投資しないんだな」
・・・まあ、こんなことを実際に口に出すと「イヤな奴」になってしまうのでオススメしませんが、心の中でそういうふうに考えるのは悪くないと思います。
また、「休日、家族との時間を削って趣味に没頭しているお父さん」はちょっと困りますが、「家族の時間をちょっと削って、家族のために自己投資しているお父さん」なら奥さんの理解も多少得られるかもしれません。(うまく交渉すれば)
「勉強」は昔からイヤイヤでやるものだった?
話は変わりますが、中国語の「勉強」という単語を辞書で調べると「むりやり強制する」という意味が載っています。
日本語と異なり「学ぶ」の意味はありません。
「勉強する」を中国語で言いたいときは「学習」を使います。
どこかで聞いた話ですが、その昔(江戸時代ぐらい?)に「むりやり学習させる」が転じて現在の「勉強する」という言葉が生まれたらしいです。(要出典)
なので、「勉強する」という言葉はその言葉の成り立ちからして、ネガティブな要素が含まれているんだなあと僕は考えています。
「勉強しなさい!」とは言うけど、「学習しなさい!」とはあまり言わないことからも勉強の「むりやり感」が感じられますね。
まとめ
というわけで、みなさんも「プログラマ 勉強」「エンジニア 勉強」という言葉の組み合わせを見たら、「投資」という言葉に置き換えてみてください。
実益になるからみんな勉強・・・いや、学習してるんだな、と考えた方がしっくりくるのではないでしょうか?
よし、西脇.rb&神戸.rbのRuby勉強会もこれから「Ruby投資会」に改名するぞ!!
あれ?やっぱりなんかしっくりこないな・・・。
あわせて読みたい
僕が「勉強しなきゃ」と思い始めたきっかけは、最初に入社したSIer時代にオブジェクト指向プログラミングと出会ったことです。
詳しくはこちらのエントリをどうぞ。